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こちらは、怒れ 3.11
過去掲載分は、ここです
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(2011.05)震災から2ヶ月
あの夢のような地震からもうすぐ2ヶ月親友は亡くなり、義理の妹の家は跡形もなくなったり、義弟の実家は避難指示がでたり。。。家を無くした義妹は仙台に帰省して物を到達して新しく借りた家に帰る前日パニックを起こし病院へ。義理の弟のご両親は避難指示、お見舞いを送れば実妹たちの結婚式以来にお義父さんから電話、そして会話。先祖から受け継いぎ守った土地をどうにも出来ず、家畜も手放し、その土地を離れる悔しさ。電話の向こうに悔しさや情けなさを押し殺す思い。友人は両親も孫までも海に流され、誰にも会いたくないと。。。連絡取れなかった友人は4月11日にお母さんと共に見つかり火葬へ。。。この2ヶ月で起きたことを。。。。。なんて言えばいいのですか?今夜は彼らの思いを考えると涙が止まらないのです。被災者はみんな頑張ってます! 人目を避け、こっそり涙を流しながら。自分だけがつらいのではないと思いながら。。。
(2011.05)きんちゃく袋
あの震災の時に、母は、きんちゃく袋一つだけを持って近くの高台にあるお寺に逃げました。そのきんちゃく袋だけで残りの人生のスタートです。私の所で、ある程度のものを与えました。しかし、所詮もらいもの。。。有難い有難い、と言いながらも、寂しげな母の表情は、なんとも心が苦しくなります。「きれいさっぱど、なぐなった〜。せいせいした!これでわだしの物は、全部あだらすぐなる〜。かえってよがったごどなぁ〜」綺麗さっぱりと全て無くなってしまった。せいせいした。これで私の物は新しいものになるから、逆に良かった!と。母の精一杯の強がりな言葉だよね、、、、、
(2011.04)@bitboi
今、馬鹿な御用学者ではなく、生き方は不器用でも真の科学者達が、叡智で原発事故と対峙していることを知り、泣けてきた。運命を、素晴らしき全ての科学者達に託します。信じています。
(2011.04)子どもたちのため頑張って
天皇、皇后両陛下は27日、東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町と仙台市を訪れ、被災者を見舞われた。伊里前小学校教諭の菊田新一さんは自宅と、気仙沼・大島の実家が津波で全壊し、両親を亡くした。同校は29日が卒業式、来月10日が始業式。震災孤児もいるといい、天皇陛下は「随分大きな痛みを負っているでしょうね」と児童らを案じると、菊田さんは「子どもたちのケアに全力を尽くしたい」と答えた。
(2011.04)日本国民と共に行動を
ドナルド・キーン米コロンビア大名誉教授が、日本国籍取得と永住を決意、ニューヨーク市内の自宅で新聞のインタビューに応じ「災難を前に、『日本国民と共に何かをしたい』と思った。自分が日本人と同じように感じていることを行動で示したかった」と決意へ至る思いを強調。「日本は震災後、さらに立派な国になると信じる。明るい気持ちで日本へ移る」と語った。
(2011.04)田中好子さんのメッセージ
テープは、キャンディーズ田中さんが「自分が亡くなったときに集まってくれた人に聞いてほしい」と、病室で録音されたものだそうです。こんにちは。田中好子です。今日は3月29日。東日本大震災から2週間たちました。被災された皆さまのことを思うと、心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています。............
(2011.04)松山千春
「知恵がある奴は知恵を出そう。力がある奴は力を出そう。金がある奴は金を出そう。『自分は何にも出せないよ』っていう奴は元気出せよ」
(2011.04)「負けないで」
「あの日」から1カ月が過ぎたが、なおも行方不明者は多い。宮城県名取市役所に「負けないで」と被災者へのメッセージを張った同市職員、西城卓哉さんの妻、由里子さん(27)もその一人。西城さんは休日のたび、各地の遺体安置所に足を運ぶ。「いつか必ず帰ってくる」と自分に言い聞かせ、平日は公務員として被災者たちの支援に全力を傾ける。一方で休日になれば、必ず各地の遺体安置所を車で訪ねる。17日も車を走らせた。周辺にがれきが残る自宅マンション。部屋には、真新しい骨つぼがある。中には7カ月の長男、直人ちゃんの遺骨が納められている。自宅に近い実家にいた由里子さんが、直人ちゃんを抱いたまま津波にのまれるところを母親が目撃していた。「由里子は抱っこひもをつけ、直人を必死で守ろうとしていたそうです」
(2011.04)@audkni310
私も、地鳴りに怯えず、地割れしていない道路を歩きたい。そして何より、放射能による風評なく生きていたい。
(2011.04)1家族年収約7万円
カンボジアの北西に位置する地雷原の村やプノンペン近郊の村から義援金が届いた。綿製品作りにかかわる約30人の工賃や染め賃1カ月分など計8万円。カンボジアの貧しい地域の1家族の年収約7万円を超える額だ。地雷原の村に住む人からは「今回の地震と津波で、日本の多くの方が亡くなり、被災されたことに、地雷被害者メンバーはショックと悲しみに包まれています。どうか私たちに、皆様の苦しみを分かち合わせてください」とのメッセージも届いた。
(2011.04)「トモダチ作戦」
指揮官、ロバート・トス米空軍大佐が15日、当地の報道陣と電話会見。「津波による破壊と荒廃は想像を絶した」と振り返る一方、今月3日に最後に向かった仙台空港の上空から、滑走路近くの海岸に折れた樹木で組まれた「ARIGATO(ありがとう)」の文字を見つけ、トス大佐は「被災者を含む日本の人々が懸命に国を復興させようとしている姿に深く感動した」と述べた。
(2011.04)@furu_furu_0385
普通に生活できることは、最高なんです。被災地以外の方、下を向かないでください。いつも通りの生活をするのも支援。経済を沈めないでください。被災地は一歩ずつ進んでいます。経済の落ち込みで、また被災するのは嫌です。グイグイ引っ張ってください。絶対、追いつきます。
(2011.04)@ownwing
もっと辛い人はいっぱいいるのに、何でこうダイレクトに体調に来るんだ。職場の友人とかみんなこんなに頑張ってるのに、なんで同じ頑張り方が出来ないんだ。ちくしょう。
(2011.04)@hinokotaiyo
報道で、こんなに支援してもらって迷惑かけて私なんて流されてしまえばよかった、と泣いていたあなたへ。同じ立場なら私もそう思うと思います。でも見ず知らずの私のわがまま聞いて下さい。支援を受けるかわりに、生きてその思いを伝えていって下さい。
(2011.04)prayforjapan.jp
今日現地入りする自衛官の友達からの話聞いて泣けた。自分の荷物の中に簡易食料やおむつと粉ミルク隠し入れてる自衛官がいる。見つかった人もいるけど「自分が使います」って返すのを聞いて、それを怒りながら許す上官。救助以外でできる事を模索してくれてる、厳罰も覚悟で。
(2011.04)岩手から
岩手県宮古市
市役所前が勤務先で、車で逃げましたが既に渋滞が始まっていました。後で津波の映像を観た時はぞっとしました。命が助かったのはきっと「生きろ!」と言う意味だと思います。復興の為ならどんな事でもやります。
岩手県大船渡市
大好きだった大船渡の海,町,すべてがボロボロになったけど,私は生きてる。 今は頑張り時。私たちの手でもう一度造り上げていこう。
(2011.04)@nakaoru
春はまだかなぁって、待っていた冬の頃、こんな春が来るなんて、誰が予想していたろう。でも、こんなに日本が一つになれるって、この春だからこそ、気付いたよね\(//∇//)\。
(2011.04)不明2児の修了証書母へ
岩手県陸前高田市の私立高田幼稚園の卒園式が10日、避難所になっている市立第一中学校の教室で開かれた。
式では児童の多くが制服を用意できず私服姿。年長と年中の娘2人が行方不明という母親が子どもに代わって証書を受け取ると、室内にはほかの保護者のむせび泣く声が響いた。
(2011.04)@GEKIYASUO
花見やお祭りなどバンバンヤッテ。日本全国で沈む必要なし。被災地以外は、普段よりお金を使って、経済活動を盛り上げて。それも支援。たまに被災地のことを考えて、ちょっぴり寄付してもらえれば。被災地より。
(2011.04)24歳米国人女性、児童避難させた後に..
教え子の中学生の門出を祝おうと、メッセージを用意していた米国人女性は卒業式前日に津波にのまれた。東日本大震災は、日本を愛した外国の人たちの命も奪い去った。〈I will never forget you!(君たちを決して忘れない)〉宮城県石巻市の市立稲井中学校の廊下には、英語指導助手だったテイラー・アンダーソンさん(24)が紙に書いたメッセージが、この春の卒業生67人全員の名前とともに飾られている。米バージニア州出身。高校生の時、アニメの「となりのトトロ」を見て日本語のリズムに魅せられ、2008年に来日して市内の六つの小中学校で教えた。指導助手の志望動機には「日本と外国の若者を結びつけたい」とつづっていた。先月卒業した稲井中の生徒たちは、「アメリカにいる恋人の話もしてくれて、友達みたいな先生だった」と振り返る。同中の成澤智子教諭によると、12日の卒業式が近づくと、放課後も職員室に残り、一人で懸命に鶴を折っていたという。11日、別の小学校で地震に見舞われたアンダーソンさんは、児童を避難させた後、1人で自宅アパートに向かう途中、津波に巻き込まれた。
(2011.04)@audkni310
いいなあ 私戻りたいなぁ 3月11日に 楽しかったもの 地震がなければ 津波がなければ 原発問題が起こらなければ私は おばさんも友達も失わなかったのに 馬鹿やってても私だって 思い出したときは 辛いんだよ
(2011.04)@matusimamidori
スリランカのカランナゴダ駐日大使が先週着任。元海軍司令官で、スマトラ沖地震による津波で大被害を受けた時に救援活動。「あの時助けてくれた日本に出来る限りの協力をしたい」と予定通り赴任。日本在住のスリランカ人には「日本にとどまり日本人を助けるように」。大事にしたい国だ。
(2011.04)@Jequake1000msgs
世界から日本へ1000のメッセージ、A student from New York, USA
今回の震災には、ただただ言葉を失うばかりです。しかし今回の事で日本を含む世界の人々が、自分の国を、愛する人を、そして隣人を「いたわる」ということについて学んだように思います。日本がこの試練を乗り越え、復興することを祈っています。“We’re very heartbroken for what happened for Japan. But I believe that this can be an opportunity to share our love and prayers for you. I’m praying for Japan everyday.“I pray that God would sustain you in this time of difficulty.””
(2011.04)ゴンは生きていた
東日本大震災の津波被害を受けた岩手県宮古市の田老地区で、コンビニエンスストア経営、山本義宣さん(57)一家は全員が死亡・行方不明になったが、飼い犬のゴンは奇跡的に生き残った。同じ町内で被災した山本さんの姉百合子さん(59)は「すべて流されてしまった中で、ゴンは唯一の形見です」と話し、ゴンを引き取ろうと考えている。
